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陶磁文化

吉祥文様の起源と意義

 

一、人類は何故吉祥文様を作り出したのか

民俗学者Arnold Hauserは、人類の最初の芸術はほとんどがシャーマニズム(magic)、有霊観(animismo)、または崇拝(culto)より起源し、儀式のために道具が必要とされるようになったため、象徴的な文様がデザインされたと考えています。最も古い時期の文様は、子孫が代々家系を継ぐことへの祈願と関係しており、この点ではフロイト(Freud)のリビドー理論(libido)と一致しています。また、Maslowの観点によれば、文様は性欲のような低いレベルの要求を満足させるほか、安全や帰属への要求も満足することができます。例えば、厭勝物や魔除け、そして国家の代表的な旗、絵柄などが挙げられます。そのためGombrichは、吉祥文様はその実用性から生まれたと考えています。また別の芸術史学者Alois Rieglは、芸術への衝動と要求は人類の一種の本能であり、装飾も同じであると主張しています。多くの吉祥文様が人々の心や目を楽しませてくれるのは、こうした理由があるからなのでしょう。

 

二、吉祥文様の原理

(一)象徴の原則(Principle of Symbolism)

ある動物や、植物、または自然現象の特色を用いて、人類の価値観に一致する意義を派生させます。

例えば、

「南瓜」は種が多いことから、子孫が多いことの象徴とされます。

「蔓」は長いことから、延々と続いて絶えないことの象徴とされます。

 

(二)同音の原則(Principle of Homophony)

二つの同音異義語において、一つの言葉にもう一つの言葉の意味をあてはめて、縁起の良い意味を表します。

例えば、

「蝴」は「福」と発音が同じであるため、「蝴蝶」(蝶の中国語)で「幸福」の意を表します。

かささぎが梅の木に留まる様子で、「喜上眉梢(喜びに目を輝かす)」という意を表します(中国語でかささぎは「喜鵲」、また「梅」と「眉」が同音)

 

三、よく見られる吉祥文様とその意味

(一)うり類の植物

うり類の植物は例えば南瓜、ヘチマ、瓢箪、葡萄などがあります。種が多く繁殖しやすいこと、そして蔓を持つ特色があることから、子孫が多く家系が延々と続いて絶えないことの象徴とされます。伝統的な民俗芸術では鼠と南瓜で「子孫が多い」という意を表現することが好まれます。蔓は民俗芸術では「絡みつく枝」や「唐草」の模様で表現され、他の花や果実と共に延々と伸びる様子が表現されます。唐草は絶え間なく延々と続くという縁起の良い意味を持つため、世界のそれぞれの文化でも好まれ、今日迄も幅広く各種の装飾に用いられています。

 

(二)牡丹

牡丹の原産地は中国、ブータンであり、その後韓国や日本に伝わって伊万里焼の主要な創作柄となりました。牡丹は華麗で、昔から富貴を象徴するとされています。特に唐の時代の洛陽の牡丹が最も有名で、南宋の太平老人に天下一と称えられました。また宋の張景修は「名花十二客」で牡丹を貴客と例えました。牡丹は常につる草と共に表現され、「富貴綿延(富貴が延々と続いて行く)」という意味を表します。

 

(三)梅

梅は梅・蘭・竹・菊の四君子の一つです。梅の花は寒さが厳しい冬に咲き、白雪の中でも屈せずに立っており、「梅は寒苦を経て清香を放つ」と言われることから、梅は「忍耐」の精神を象徴しています。

 

(四)蘭

蘭は梅・竹・菊と同じ四君子と呼ばれ、昔から「王者の香り」という美名があります。蘭の花は高潔な精神の象徴とされるため、特に中国の官僚や知識層に好まれています。孔子の「善人と居る時は 芝蘭の室に入るが如し 久しくして其の香りを聞かず 即ちこれと化するなり」という言葉でも交友の大切さが示されています。後世では霊芝と蘭で「君子の交わり」或いは「金蘭の交わり(親友の交わり)」と例えています。また、梅の花と「梅蘭の交わり(親友の交わり)」の象徴ともされます。蘭は台湾で多く育てられ、新しい品種の栽培も大きな成功を収めており、「蘭の王国」と言われています。

 

(五)竹

竹は、まっすぐ伸びていて中空で節がある形のため、歴代の文人墨客に好まれ、褒め称えられています。気骨のある人は「高風亮節(品格が高尚で節操が固い)」、「虛心勁節(謙虚で気骨がある)」と例えられます。最もよく知られているのは、蘇東坡による“可使食無肉,不可居無竹;無肉使人瘦,無竹使人俗(肉を食べなくても良いが、竹のない所には住めない。肉を食べなければ人は痩せていき、竹がなければ人は卑俗になる)”という言葉です。また、現在の人は名誉と地位を好むため、“節節高昇(とんとん拍子に出世する)”という言葉が相手の昇進を祝うのに使われています。

 

(六)薔薇

薔薇はバラ科に属し、「花の女王」という美名があります。アジア、ヨーロッパそして北米地域で多く育てられ、観賞や食用、薬用、香料などの用途があります。1752年に中国産の薔薇が初めて欧米に伝わり、現地の品種との交配が成功したため、より多くの種類が生まれました。現代の一般的な観点では、赤い薔薇は熱情と愛情、黄色い薔薇は失恋、白い薔薇は純粋、黒い薔薇は憎しみ、棘のない薔薇は友情を表すとされています。中国の芸術品では、同じバラ科に属す野薔薇を創作素材として使うことが好まれます。

 

(七)蓮

最新の考古資料によると、「蓮」は中国の原生植物で、古代では「天帝」の象徴でもありました。仏教が中国に伝わってから、その仏教上での意義が人々の心に深く根ざすようになりました。蓮の花と蓮の実(果実)が同時に生まれることから、仏教の「因果並存」の観念を象徴しています。また、蓮の花は輪の形の花びらが「輪廻」の思想を表すとされています。蓮の香りは古代エジプトでは天からのメッセージと見なされていました。最も古い文献から、蓮は元々蓮の実を指し、蓮の花と葉を荷と呼んでいたことが分かります。長い間人々はその原意が分からず、蓮と荷を混用していましたが、その清らかさ、穏やかさ、泥水の中から生まれても清らかで美しいという特徴が絶えず褒め称えられています。

 

(八)龍

龍は中国人の想像上の動物で、新石器時代の遺跡でも発見されています。元々の龍は蛇に似ているものの、変化や発展を伴い、獅子の鼻、蟹の目、海老の鬚、鹿の角、蛇の体、魚の鱗、鷹の爪というように各種の動物の重要な部分が一つに集約された形となりました。全知全能のような権威や地位の象徴ともされる。龍は漢朝から帝王(劉邦)との繋がりが始まり、元朝になってからはさらに帝王が独占的に所有する物となりました。明朝ではややその関係が弱まりましたが、それでも皇帝しか五つの爪の龍を使用できないという制限がありました。皇帝や官吏の朝服では龍が飾りの柄に多く用いられました。大まかに言えば、皇帝の着る礼服のみが龍の御衣と言われ、官吏の礼服は四つの爪の大蛇の礼服でした。しかしながら、これが定説があるというわけではありません。

 

(九)獅子

獅子はペルシャ、パルティア(イラン)一帯が原産の動物です。獰猛な性質から、よく守護獣として神殿の前に置かれます。獅子がインドに伝わってからは、例えば文殊菩薩が獅子に乗っているように、更に仏教神話の意味合いを帯びるようになりました。獅子座で釈迦牟尼の座っている様子を表し、獅子吼はまた釈尊の説法の様子を表し、その威力が強大でどんなに遠くまでも届くということを意味します。獅子は東漢明帝の時代に仏教と共に中国へ伝わり、その後は中国の本来の虎信仰に取って代わり、魔除け、家内安全の守護獣として民間に受け入れられました。

 

(十)魚

魚は、男女間の愛が良好であることを表す「魚水之歓」のように、縁起の良い意味がたくさんあります。収入が支出より多いことを「有餘」と言いますが、餘と魚が同音であることから、縁起が良いとされています。また台湾人がよく使う「魚躍龍門」や「鯉躍龍門」(立身出世のたとえ)は尚書の大禹治水の故事がもとになっています。その昔、大禹が禹門の治水を成功させた時、黄河の鯉がしきりに悲鳴を上げたため、大禹は鯉が堤防の壁を飛び越えられたら龍になれるとしたと言い伝えられています。その後、後代の人々によりこの言い伝えが「鯉躍龍門」の典故となりました。また地名の禹門は龍門とも言われています。魚は宗教文化の上では禁忌もあり、面白い事に、古代ユダヤ人や中国人の道教では、鱗のない魚は不潔で不完全であり、供え物にしてはいけないとされていました。

 

(十一)真鰲(伝説の大海亀)

古代の科挙制度の最高レベルの試験は、進士の地位を得た者が入京して、皇帝が自ら順位を決める試験を受けるものであり、「殿試」と呼ばれていました。殿試の試験会場は屋根に鰲魚の装飾が施されていました。これにより人々は殿試の合格者を「鰲頭独占」(科挙試験に主席で合格する)と呼びました。閩南語(漢語)は古音を多く残しており、このため「真鰲」により勉強ができる、またはある方面で成果を挙げた人を表します。

 

(十二)鶏

「鶏」と「吉」の音が同じであるため、縁起の良い意味を持つとされています。また鶏は五徳を持ち、頭に冠を戴くは文なり、足に蹴り爪を持つは武なり、敵前に敢えて戦うは勇なり、食を見て相呼ぶは仁なり、夜を守りて時を失わずは信なり、と言われました。台湾語の「鶏」は「家」と音が同じであるため、「事業を興す、家を興す」ことの象徴ともされます。現代心理学の研究によると、より健康な鶏ほど、食べ物の大小を見分ける能力があるということが分かっており、鶏も人類と同様に「向上」への動機があることがはっきり分かります。 

 

(十三)蝙蝠(コウモリ)

実世界のコウモリはあまり人から好まれていません。しかしながら、中国文化の中では、「蝠」と「福」が同音であることから、コウモリは幸福を表すとされています。伝統芸術の中にもしばしば見られ、五匹のコウモリで「五福臨門」(長寿、富貴、康寧、好徳、善終の全ての幸福を入り口に集める)を、百匹のコウモリで「百福呈祥」(たくさんの幸福に包まれる)を表したり、海上を飛ぶコウモリで「福如東海」(東海へ流れる水のように福が永遠に続く)を表したりします。この他にも、鍾馗の持つ扇に留まるコウモリの図がよく見られますが、これは「納福」(幸福を受け入れる)を意味します。

 

(十四)蝶

「蝴」(蝶の中国語は蝴蝶)と「福」が同じ音であることから、幸福を表します。また「蝶」と「耋」(高齢の意味)が同じ音であることから、長寿の象徴ともされます。台湾は山が多く、地形も険しいため、蝶の生態環境としては最適です。かつては400種類以上もの蝶がいたこともあり、「蝶の王国」という名声を得ました。

 

(十五)器の形における吉祥の意味

瓢箪の瓶:瓢箪の中国語(葫蘆)と「福禄」が同じ音であり、また種が多いので子孫繁栄の象徴ともされます。

茶瓶(中国語は茶壺):「壺」と「福」が同じ音であり、幸福の意味があります。

梅瓶:梅瓶は宋の時代には「経」瓶と呼ばれていました。経は細長いという意味です。もともと酒を入れる容器でしたが、口が小さく、梅の花が一本しか挿せないことから、後世では梅瓶と称するようになりました。梅瓶は胴部が大きく口が小さいので、入りやすく出難いということから、財を集めるという意味があります。

天球瓶:台湾人は円満の状態を好みます。天球瓶はもとより歴代の名磁に主に用いられた形で、胴部が大きく口が小さいため、財を集めるという意味があります。

胆瓶、橄欖瓶:胴部が大きく口が小さいので、財を集めるという意味があります。

 

(十六)絵柄(pattern)とトーテム(totem)

絵柄は、広く一般的には平面上の組織的な目的のある構図を指します。トーテム(totem)は北米インディアンの言葉で、一種の信仰、主義(totemism)を表します。原始の民族は多くは一種類の動物、植物あるいは自然現象を選んでその氏族のトーテムとしていました(研究によると動物が最も多い)。一般的にそれらの氏族は彼らの祖先とそのトーテムの間に関係がある、またはそのトーテムから恩恵を受けていたと考えていました。そのため、そのトーテムの動物を殺してはいけないことになっていました。トーテムは一種の信仰である他、社会の制度を維持するためにも用いられました。例えば、遺伝子の質を守るため、同じトーテムの人同士は結婚することができないと決められていました。トーテムは、例えばトーテムポールのように、よく芸術的な形式で原始の民族の工芸品に現れていました。トーテムの信仰はアメリカとオーストラリアで顕著に見られますが、一部の学者は中国でも大昔はトーテムの信仰があったと考えています。例えば皇帝軒轅氏の氏族のトーテムは熊でした。絵柄をトーテムと間違えることが多くあり、“あなたのTシャツのトーテムはとてもきれいです”ということはできず、“あなたのTシャツの絵柄はとてもきれいです”と言わなければなりません。Hello Kittyは可愛い絵柄ですが、トーテムではないのです。